‘考察’ カテゴリーのアーカイブ

技術者素養のあるデザイナ:デザイナ素養のある技術者

2010年11月16日 火曜日

 
昼間みたツイートに対するなにか。
なんかいろいろ思ってサラっと返せなかったので。
 
 
 
元になる記事はこちら:http://okude.blogspot.com/2010/11/sat-nov-13.html
山中俊治さんのデザインと自分の関わり的な記事。
 
いろんな突起があってそれぞれ引っかかりたいところですがー、
 
とりあえず、デザインとエンジニアリングという観点で、
さらに僕の場合はソフトウェア9割の生活だということを前提でおねがいします。
(ハードは大学でやった日曜工作に毛が生えた程度の作品制作しかない)
 
 
※結果ちゃんと考えがまとまらなかったのですが、
 いい機会なので雑文として書き留めました。
 
 
 
– – – –
現状、デザインするしプログラム組むしという人が少ないと思っている。
 
 
出来るというのは、
プログラマーとAPIの仕様を決め、
デザイナーとビジュアルの詰めの話をしコンマ以下のピクセルの話をし、
Windowsディスプレイの色空間に文句を言い、
インタラクションやモーションの主張をする、そういうひと。
 
 
 
実際世の中には、それこそ日本語圏をでれば、全然たくさんいるのかも知れない。
ただ、僕の世界はいまのところそんなに広くないので、
仕事上の話でよく不足してる感じを受ける。
 
 
でも、上記のブログ記事にある、
現在働いている技術者とデザイン(主にビジュアル)の話をいかにしていくか、
という論点からは少しずれてしまうのだけど、
そこで必要とされている(僕が今不足しているなと思う)人材は、
今後ちゃんと増えていくんじゃないだろうか。
 
 
僕は、何をする人間に育つにしても、憧れと好奇心がキモだと思っていて、
その個人的な感覚のなかでいえば、
きっかけとしてビジュアル的に美しいものに感動して、
それが物理や計算式で出来ていてエレガントな気がして、
それが自分の手でも作れるんだ!、そういう流れを組んだひとなるんじゃないかなと。
 
 
 
プログラムに最初に触れるのって、
例えば僕の世代でいえば小学校、中学校でだと思うんですが、
CやBASICそのものの仕組みに興味を持ってスクリプトを書き始めるのではなく、
HTMLやらJS、Flash等、ビジュアルをつくるためにスクリプトを組むところから
始まっている人は、両方のセンスが育っているのではないだろうか。
 
 
そういう意味で、ActionScript2.0までのFlashというのは
とても良かったと思っている。普通買えないけどそれはまぁいろいろ(ry
 
ビジュアルオブジェクトを配置して、タイムライン上でトゥイーンつけて、
かなり大雑把なスクリプトをくっつけて、いいバランスで、
なにか面白かったり、綺麗だったりするものが作れた。
 
 
 
10年前は、そういう環境がなかったけれど、徐々にそういうところから
プログラムに入ってくるルートが増えてきて、今はかなりある。
 
ので、”技術者にとって何がデザインの余地なのかわからない” のは
一世代上までの話のような気がしないでもないなーと思います。
 
いろんなライブラリが出まわったり、個人からでも入り込める市場ができたり、
小規模な開発でも回っていく部分が出てきているので、そういううちは、とりあえずね。
 
 
 
 
とりとめないのでこのへんで。
 
 
 
 
あ、でもひとつ。
この話に出てくるような人は、器用貧乏みたいな状況になりがちだと思う。 
 
 
さらにもひとつ。
Macintoshから入ったほうがいろんなセンスよくなる確率が高い気がする。
 
 
– – – –
RTでいただいたフレーズですが、
“イタリアでは昔は飛行機や車はエンジニアリングとデザインが分けがたく存在していた”
という話はなんだかときめく。紅の豚が思い浮かんだ。
 
 

【foursquare+twitter】という第6感

2010年2月9日 火曜日

今日、近所のカフェで作業をしていたのですが、ちょうど作業も一段落したところでツイッター見てたんです。そしたら、foursquare(以下4sq)の告知で知り合いが近所にいて、ちょっと飯でも…と連絡してみたところ、送別会をしているとのこと。
送別される方も知らない仲ではないのでとりあえず即参加!となりました。
 
 
ほんとに、即!という感じでした。
 
 
距離にしたら50mと離れてない場所です。
でも、普通ならすれ違いもせず、つながるはずのない線です。偶然同じ店に入って出会うことが運命だとすると、今日みたいなことは、普通ありえない。
僕たちが4sqやtwitterといったツールを使っていることを知らない人からしたら、ちゃっかりと現れてお酒なんかをご馳走になっている感じが、こいつどうやって嗅ぎつけたんだ?!と思われても不思議じゃない。(各位>>ご馳走様でした)
もう魔法なんじゃないかと思ってしまう。 
 
 

・・・ 
普通、他人との繋がり方というのは、会っているか会っていないか、の2点しかありません。
 
 
それが、電話やインターネット、携帯電話等が広まるにつれ点が増えていき、繋がっているという感覚を細かく選べるようになりました。
約束しなければ会えなかった時代から、携帯電話でいつでも連絡がとれる時代になって、直で繋がり過ぎる感じにうんざりして、メールでつながるようになって、時間ができたときにネット上のコミュニティーを巡るようになる。それをさらにアナログよりというか、直で繋がってる感じが携帯メールやネットコミュニティーよりももう一歩薄くした感覚。
 
 
この感覚を、たぶん、社会人としての生活にいい具合に収まったことを、ふと感じられた瞬間だったように思う。
 
 
ちょうど今読んでいる本に、”チャリティのことづて”(ウィリアム・M・リー)という短編があって、時空を隔てた2人が思考の中でだけ対話ができて、見たものや聞いたこと等も共有するという、半タイムトラベル的な話なんです。それがあったから今回のことがより引っかかったのかもしれません。
 
 
 
時空を超えるほど大層なことではないけれど、可能性という意味ではそれと同じような隔たりが超えられたような、ちょっと未来な出来事でした。